訓練に来ない人は、防災に無関心なのか

2026年10月4日

― ひょうご防災リーダー養成講座、第2回(10月3日・4日)に参加して ―

昨日10月3日(土)と今日4日(日)、三木市の県立広域防災センターで、「ひょうご防災リーダー養成講座」の第2回を受講しました。泊まりがけの2日間で、8つの講義がありました。

9月の第1回では、11月に発足する防災庁の話を中心に書きました。国が大きな仕組みをつくる一方で、一人ひとりの防災は自助が重要である——そのとき講師から聞いた言葉が、ずっと頭に残っていました。

今回の2日間は、その「一人ひとり」と「地域」の話でした。誰が取り残されやすいのか。どうすれば取り残さずにすむのか。

講義の数が多いので、全部は書けません。今日は、私がいちばん考えさせられた二つのことを書きます。


一つ目:生き延びた命を、どう守るか

「関連死」という言葉

災害で亡くなる人には、二つの種類があります。

建物の倒壊や津波などで亡くなる「直接死」と、助かったあとの避難生活の中で、体調を崩したり、持病が悪化したりして亡くなる「災害関連死」です。

講義では、熊本地震の数字が紹介されました。直接死が50人だったのに対し、関連死は223人。4倍以上の方が、地震を生き延びたあとに亡くなっています。

生き延びた命を、どうやって守るのか。

講師の相川康子先生(NPO政策研究所)が投げかけた問いです。

関連死は、避難所だけで起きているのではない

もう一つ、驚いた話があります。

関連死というと、体育館の床で寝る、寒い、食事が合わない——そういう避難所の環境を思い浮かべます。ところが講義では、避難所で亡くなった方は、関連死全体のうちの一部にすぎないと説明されました。多くは、自宅や福祉施設で亡くなっているそうです。

考えてみれば、避難所に来られる人は、ある程度動ける人です。体の具合が悪い方、障がいのある方、家族の介護をしている方ほど、自宅に残ります。車中泊や、壊れかけた家の軒先で過ごす方もいます。

ところが、支援の数は「指定避難所に何人いるか」で数えられがちです。避難所の外にいる人は、数に入りにくく、支援も届きにくい。 これは、宍粟市のように家と家の間が離れている地域ほど、大事な視点だと思いました。

避難所を見る「ものさし」

それでも、避難所の環境は大切です。4日の講義で斉藤容子先生(関西国際大学)が紹介されたのが、避難所の状態を確かめる「ものさし」でした。

  • T:トイレ
  • K:キッチン(温かい食事)
  • B:ベッド

これに、B(バス・シャワー)とL(ランドリー=洗濯)を加えた五つです。

印象に残った話をいくつか。

  • 能登半島地震では、1か月アルファ米だけが続いた避難所もあった。イタリアでは、発災から24時間以内に温かい食事が届く仕組みがあるという
  • 被災地で笑顔があった避難所は、自分たちで食事をつくって、みんなで食べていたところだった
  • 洗濯機が届いても、干す場所がなければ使えない。人目のある場所に下着を干せず、壊れかけた自宅やコインランドリーまで行っていた女性や高校生がいた
  • 移動式のシャワーも、「座って浴びられるように」「入口の段差を低く」と声を上げたことで改善された

9月議会の代表質問で、私は災害時のトイレを取り上げました。トイレはTKBの最初の「T」です。今回、トイレの次に何を確かめるべきかが、はっきりした気がします。


二つ目:訓練に来ない人は、無関心なのか

「マンネリ化」の正体

3日午後の講義は、地域の避難訓練がテーマでした。

講師はまず、こう言われました。避難訓練のマンネリ化は、ずっと指摘されている。指摘することさえマンネリ化しているほどだ、と。地域で役を担っている方々には、耳の痛い言葉だったかもしれません。

毎年同じ日に、同じ場所に、同じメンバーが集まる。そして、来ない人は「防災に関心がない人」と見なされる。

ここで、見方を変える話がありました。

訓練に来ない人は、防災に無関心なのではない。今の訓練の形に、参加できないだけかもしれない。

そして、もっとも重い指摘がありました。災害で最も犠牲になりやすい高齢の方や障がいのある方が、参加できない形の訓練を、何十年も続けてきたのではないか、と。

家族で、好きな日に

紹介された例の一つが、京都府福知山市のある地区です。何度も大きな水害を経験してきた地域です。

この地区では、コロナ禍をきっかけに、全員が同じ日に集まる訓練をやめました。代わりに、

  • 2〜3週間の期間を決める
  • その間に、家族単位で、好きなときに、車で避難先まで行ってみる
  • 気づいたことは、SNSで区長に伝える

という形にしました。避難先は、高台にあって広い駐車場のある大型商業施設。市と事業者が協定を結んでいます。

結果は、参加者が倍増。これまで一度も来なかった子育て世代が、たくさん参加しました。そして、

「夜でもトイレは使えるのか」 「みんなが一斉に向かったら、橋で渋滞しないか」 「毛布が必要だと思った」

といった、具体的で前向きな声が集まったそうです。

決まった日の決まった時間に集会所へ、という形は、共働きの家庭や、小さな子どもがいる家庭にはハードルが高い。私自身子どもを育てながら、その難しさを感じてきました。関心がないのではなく、行けなかった。 同じように感じている方は、宍粟市にも多いのではないかと思います。

「2階まで」「玄関まで」

高齢の方向けの訓練の話もありました。

一つは、「自宅の2階まで逃げる」訓練です。外に出なくても、寝たきりの方や歩くのが難しい方でも参加できます。西日本豪雨の岡山県倉敷市真備町では、亡くなった方の多くが自宅の1階で見つかり、その中には2階のある家の方も少なくなかったと紹介されました。

もう一つは、高知県黒潮町の「玄関まで出る」ことをゴールにした訓練です。一度も防災活動に参加したことのない高齢の方に、まず玄関まで出てもらう。60秒かかる方もいたそうです。

これは、助けに行く人の命を守ることにもつながります。東日本大震災では、救助に向かった消防団員の方々が多く犠牲になりました。

当事者が加わると、計画が進む

4日の松山雅洋先生(元神戸学院大学)の講義では、研究の結果が紹介されました。

災害のときに支援が必要な方、一人ひとりについて「誰が、いつ、どうやって避難を手伝うか」を決めておく「個別避難計画」。この計画づくりが進んでいる地域に共通していたのは、障がいのある方など当事者自身が、訓練やワークショップに参加していることだったそうです。

意外だったのは、浸水や土砂災害の危険が高い地域かどうかは、計画が進むかどうかにあまり影響していなかった、という点です。

そして、訓練を一度でもやった地域の人は、「支援できる」と答える割合が高い。やってみると、できる自信が生まれる。

4日午前の講義では、高知県で聴覚に障がいのある女性が防災リーダーの育成プログラムに参加した例も紹介されました。「してもらう側」だった人が、「できる側」に回る。

やれる力をつけておけば、排除にならない。

この言葉が、2日間の講義を一本の線でつないでくれた気がします。 


宍粟市では

宍粟市では、11月15日に総合防災訓練が予定されています。

今回学んだことを、市の備えに照らして確かめていきたいと思っています。たとえば、

  • 子育て世代や仕事のある方が参加しやすい形の訓練を、地域でどう広げていけるか
  • 避難所の外(自宅・車中泊など)にいる方の状況を、どう把握するか
  • 避難所の備蓄を、実際に使う人の目で見直す機会があるか

4日の講義では、「備蓄の中身を、いま子育て中のお母さんたちに見てもらってほしい」という話もありました。粉ミルクだけでなく液体ミルク、生理用品も昼用と夜用で違う。使う人に聞かないと分からないことがあります。


家庭でできること

最後に、講義で学んだ中から、ご家庭ですぐにできることを三つ。

① ハザードマップは「安全な場所」を示す地図ではない 兵庫県立大学の浦川豪先生の言葉です。色が塗られていないところが安全、という意味ではありません。自分の家だけでなく、近くの川や低い土地、普段の通り道も含めて眺めてみてください。

② 「明るいうちに避難」が原則 気象予報士の南利幸先生によると、狭い範囲に記録的な大雨が降るのは、夕方から夜にかけてが多いそうです。暗くなってからの避難は危険で、救助に向かう人の命も危うくなります。

③ 降水確率40%なら、傘を持って これも南さんの話です。降水確率40%は、梅雨の盛りの平均とほぼ同じ水準。天気予報に傘マークがなくても、40%なら持って出かけたほうがよいそうです。


おわりに

1期目の私にとって、この講座は学ぶことばかりです。ただ、議員として学んだことは、学んだだけで終わらせず、市の施策と突き合わせていくのが仕事だと思っています。

講座は11月の第3回へと続きます。レポートの提出や救命講習の受講もあります。またご報告します。

「訓練に参加したいけれど、この形だと行けない」「避難所に、これがあったら助かる」——そんな声を、ぜひお聞かせください。みなさんの声が、質問の出発点です!

おまけ

職場や、学校、仲間たちと避難行動を考えるEVAG豪雨災害編です。

前回10月の時の講座でワークショップした簡易版がWEBで公開してあります。

防災を考えるうえでその葛藤や、迷い、判断をどうするかなどシュミレーション出来ますのでぜひサイトよりダウンロードしてお試しください。

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