― 熊本地震の被災地を訪ねて(10月29日) ―
熊本での研修(10月27日・28日)のあと、29日(木)はレンタカーで南阿蘇村を訪ね、被災地の町を車で走りました。前回の記事に書ききれなかった、この日のことを書きます。
講演で聞いた話を、自分の目で確かめたかったからです。そして、見てきたものは、宍粟市にいる私たちにも無関係ではないと感じました。
学んだことを、宍粟市の備えに生かしていきたいと考えています。

南阿蘇・震災ミュージアム KIOKU で
午前中は南阿蘇村へ。橋を望む場所に立ち寄ったあと、震災ミュージアム KIOKU を訪ねました。
館内のパネルには、10年前の平成28年(2016年)4月14日の夜と16日の未明に、最大震度7の大きな揺れが2度熊本を襲ったこと、18万人を超える方々が避難したことが書かれていました。
ミュージアムからは、外輪山の様子が見えます。土砂が崩れ、橋が落ちた場所です。近くの学生村では、多くの大学生がアパートや下宿で暮らしていました。そこにあった学生さんたちの日常が、一瞬で奪われ、変わってしまったのです。

当時の住民の方のお話を聴きながら、「一体、自分に何ができるのだろう」「何が、できたのだろう」と考えていました。
案内してくださった方の言葉が、強く残っています。
> 「なにも出来ません」
自然を相手に、私たちは何もできない。その力の大きさを、まざまざと知らされました。
建物の外の壁には、こんな言葉が刻まれていました。
> 「あの時ここにいたら あなたはどうしただろう」

学生村の案内板には、建物の中に取り残される学生もいたなかで、無事だった学生たちが、自発的に住民の救出や避難所の運営にあたったことが書かれていました。自然の力は止められなくても、そのあとに人ができたことは、あったのだと思います。
案内の方も、若い学生の方々が沢山ボランティアにでてくれたと聞きました。顔が見える、そこに誰が住んでいる、どういった状態であるということがここでも大事だと感じました。
被災地の町を車で走って
車で走っていると、屋根にまだブルーシートがかかっている家が目に入りました。
完全に崩れてしまった家。倒れたままのブロック塀。そのままになっているところも、ありました。
胸が締めつけられる思いがしました。
まだまだ、ボランティアも募集されております。
八代市災害ボランティアセンター
https://www.yatsushiro-shakyo.jp/homepage_new/R08_saigai_vc_home.html
宍粟市のこととして
宍粟市には、山崎断層があります。
もし山崎断層が動いたら、通行規制がかかるかもしれません。
自然の力の前で、私たちにできることは限られています。それでも、起きる前に、できることはあるはずだと思いました。
KIOKUには、避難所で使われた手書きの「トイレそうじ」の手順や、簡易トイレの展示もありました。

いつ起こるかわからない地震に、わが家は備えができているでしょうか。たとえば、こんなことです。
– 家具は固定してありますか
– 水は確保できていますか
– 簡易トイレは用意してありますか。使ったあとのごみは、どこに保管しますか
– 家族がばらばらのときに大きな地震が起きたら、どうするか、話し合っていますか
– ハザードマップは、確認しましたか
チェックする項目は、まだほかにもあると思います。一度に全部でなくても、まず一つ、今日確かめてみませんか。
おわりに
被災地で見たもの、聞いたことは、話や本や写真だけでは伝わりきらないものでした。けれど、見てきたからこそ、宍粟市の備えを、自分のこととして考えなければと思っています。
宍粟市の防災について、「こんなことが心配」「こういう備えがあれば安心」というご意見があれば、ぜひお聞かせください。