― 熊本地震の研修(10月27日・28日)に参加して ―
昨日10月27日(火)と今日28日(水)、熊本に来ています。ローカル・マニフェスト推進連盟が主催する、令和8年熊本地震に学ぶ2日間の研修です。1日目は熊本国際交流会館での講演会、2日目は熊本県防災センターと熊本城の視察でした。
今年7月28日の地震では、氷川町と宇城市を震源に大きな被害が出ました。真夏の発災で、日中は40℃にもなる中、断水と避難所の暑さが続いたと聞きます。
講演会では7人の方がお話しされました。全部は書ききれないので、今日は私がいちばん考えさせられた三つのことを書きます。
一つ目:「情報を集める」だけでは足りない
氷川町の「がまだす会議」

※「がまだす」というのは熊本や長崎県の方言で、「頑張る」「精を出す」という意味だそうです。
長洲町の徳永伸介さん(元消防士・救急救命士)は、氷川町で行われた「がまだす会議」の話をされました。行政、社会福祉協議会、民間の支援団体の三者が顔をそろえて話し合う場です。
発災は7月28日。会議が動き出したのは8月2日でした。最初は各団体の活動報告が中心でしたが、8月10日から「発言は1分」「困りごとを付箋に書いて整理する」というやり方に変えて、被災者の困りごとを解決する場に変わっていったそうです。
「情報を集める」だけでなく「何を解決するか」が大事
もう一つ印象に残ったのは、外から来た支援者が、最後は地元に役割を渡すという設計です。会議の進行や記録は、県外の支援者から社協、そして地元の人へ引き継がれ、震災から約2か月後には、地元の中間支援の仕組みができあがりました。
最後に、地方議会にこんな問いを投げかけました。
- 平時から、行政・社協・民間の顔が見える関係はありますか?
- 災害時、現場の声を施策につなぐ回路はありますか?
- 地元の担い手を育てていますか?
三者連携(官・社・民)に、団体と議会を加えた「五者連携」へ。議員が、その輪の中にいられるかどうか、という問いだと受け止めました。
二つ目:議員のできることは、人と人をつなぐこと
くまもと女性議員の会の取り組み
山鹿市議会前議長の服部香代さん(くまもと女性議員の会会長)の報告は、子育て中の私にとって、いちばん身近な話でした。
被災地の女性議員から届いた声は、こういうものでした。
- 物資の列に並んでいて、子どもがトイレに行きたいと言うと、列を離れて、また最後尾から並び直す
- 保育園も学童クラブも閉まり、子どもの預け先がない。仕事にも行けない
- エアコンのない部屋での片付けは、子どもの体調が心配
議員が自分の選挙区で寄附や物資を配ることは、公職選挙法の面で慎重な判断が必要です。そこで女性議員の会は、物を届けるかわりに、必要な人と組織をつなぐことを選びました。
子どもの支援を考えていたNPOに相談し、現地の女性議員を通じて行政にも話を通し、被災しなかった学童保育所を使って「見守りの場」を開きました。
- 期間:8月10日〜25日の16日間
- 初日の利用:4歳から小学6年生まで約40人
- 運営:女性議員の会の会員、NPO、学童支援員が交代で見守り
- 食事:最初はキッチンカー、その後は子育て支援センターでつくった食事を提供
保護者からは「安心して仕事に行けた」「役所の申請が、子どもがいない間にできて助かった」という声があったそうです。子どもの安心は、保護者の仕事や手続き、生活再建を支えます。
一方で、課題も語られました。発災してから相談先や運営のノウハウを探すのでは、調整に時間がかかる。行政も手いっぱいだった。
「災害が起きてから、連携先を探すのでは遅い」という言葉は、そのままどのような災害でも必要なことだと感じました。
三つ目:議会は「動かない」のではなく「動き方を決めておく」
熊本市議会の古川さとこさんの話です。

災害のとき、指揮命令権を持つのは行政です。議会は、行政の対応を妨げたり、混乱させたりしてはいけません。
平常時の議決や政策立案の機能は、一定の期間止まります。そのかわり、行政の対応が的確かを見る「監視・評価」と、あとで政策に生かすための早期の状況把握が大切になる、という整理でした。
熊本県議会は、発災の翌日(7月29日)に、次の方針を出しています。
- 行政への問い合わせは、原則として議長(議会事務局)を通じて一本化する(個々に行政に問い合わせしない)
- 委員会・会派による被災地視察は原則自粛する(過去渋滞が生じ、支援の車がなかなか到着出来ない事態に。議員個人の地域活動は対象外)
- 災害関連の会議では、新しい資料作成を求めず、既存の資料を使う
- 被災状況は、県のホームページなどで議員自ら確認する
議員が張り切って現地に押しかけ、職員の手を止めてしまう。それを防ぐための取り決めです。一方、熊本市議会は、BCP(業務継続計画)は策定しておらず、10年前の震災のあとに「災害対策会議設置要綱」をつくった、というお話でした。
私が考えたのは、議員としての「動かない勇気」と、住民の一人としての「動く力」は、両立するということです。古川さんも、有事には避難所運営や被災者支援に一住民として関わり、平時は顔の見える関係づくりや訓練に取り組んでいる、と話されました。
宍粟市議会には、「災害発生時における宍粟市議会および議員の対応について」というものがあります。
改めてしっかり読んでおきます。
宇城市の市長、末松直洋さんがおっしゃっておりました。「元に戻すでは終わらせない。創造的復興」
単に元に戻すのではなく、災害前より安心できる暮らしにつなげる
反省を隠さない姿勢 反省をしながら常にアップグレードされていく姿がよくわかりました。
また、印象に残ったのが受援の体制も想定をしておくことというお話でした。
たくさんの方が支援に来てくださる。その方々への感謝はもちろんだが、どのように活動を円滑にしてもらうかも大事、というお話もありました。受け入れる側の準備も、備えのひとつなのだと気づかされました。

2日目:熊本県防災センターと熊本城


28日は、朝9時15分に熊本県庁の防災センターに集合しました。災害時に情報を集め、関係機関との調整や指令の拠点となる施設です。県防災推進課の職員の方が、冒頭で「熊本地震では全国から多大なご支援をいただき、いまも多くの応援職員を派遣していただいている」と、感謝を述べられました。
10年前の反省から、建物のつくりを変えた
いちばん印象に残ったのは、10年前の課題が、建物のつくりで解消されていたことです。
- 10年前のオペレーションルームは10階にあり、広さも今の半分ほどでした。入りきらない機関は1階にいたため、連携がなかなか取れませんでした。
- 新しい建物では、必要な機能を2階・3階で完結させました。エレベーターが止まっても動くようにするためです。
- 大きなひとつのフロアに関係機関が集まり、右側が救助関係、左側がライフライン(インフラ・土木)と調整、と分かれています。どの機関がどこに入るかも、あらかじめ決めてあります。
- 仮眠室があり、ボランティアの疲れを少しでも癒してもらうために、鍼灸の施術もあるそうです。
効果は、今回の地震ではっきり出ました。被災した病院から患者を運び出すとき、移送の手段が足りなければ、その場で「消防で使えますか」「だめなら自衛隊は」と聞ける。調整が円滑で、搬送がかなり早く済んだそうです。

10年前は、地震が起きることをあまり想定できていなかった。普段からの訓練体制も不十分で、対応が遅れた
そう率直に話されたことが、心に残りました。10年前に耐震化などの取り組みを進め、センターを整えたことで、今回は「かなりスムーズに対応できた」といいます。
平時からの備えで人も城も無傷だった

地震が起こった際、有料エリアには400名の方がいらっしゃったそうです。
地震発生が16時27分。その400人が全員避難が完了したのが16時40分頃です。わずか10分程度で全員の退避が出来たそうです。入園者、スタッフ、工事関係者共に、人的被害は0でした。
10年前の教訓が様々な場面で生かされました。
最後に
7人の方々に共通していたのは、「災害が起きてから、つながりを探していては遅い」ということでした。行政、社協、NPO、地域、そして議会。平時に顔が見えていること、役割を決めておくこと。単純ですがいちばん効く備えだと感じました。
私自身、災害のときに地域で役に立てるよう、防災士の勉強を始め、議員としての立場と、一人の住民としてできることを、これから整理していきます。
宍粟市の防災について、「こんなことが心配」「こういう備えがあれば安心」というご意見があれば、ぜひお聞かせください。いただいたお声が、次の質問の出発点になります。